グローバル経営のコツは、最大限ルールを見える化!

こんにちは、GoodTimesのけいこ(@Good_Time_s)です。

12月に入ってから、セブ島の街はクリスマスモード一色なのに、相変わらず日中は暑くて、日本の冬が恋しいです。

さて、今回は海外留学・語学教育の事業を展開しているネスグローバル株式会社・CEO櫛谷 泰輔さんへインタビューしてきました!

ニュージーランドの高校へ進学し、帰国後3年間のサラリーマン経験を経て、起業された櫛谷さんに多国籍な方をマネジメントしていく上で、大切なことは何か聞いてきました!

前回のインタビュー記事はこちら👇

①櫛谷さんってどんな人?

▶︎櫛谷さんは10代の頃に高校進学で海外へ行かれたとお聞きしていますが、海外で実際にどんなことをされていたんですか?

高校からニュージーランドへ進学しました。元々、小学5年生からラグビーをしていて、高校でもラグビーを続けたいと思っていました。ただ、僕の地元でラグビーを続けるには、新潟で一番頭のいい高校に行くか、ヤンキーだらけの高校に行くかという二つの選択肢しかなかったんです(笑)。そこで、進学校の受験に挑戦しましたが、テストに落ちました。滑り止めもなく、中卒になってしまい今後どうやって生きて行くのか、かなり悩みましたね。

そんな時、当時では珍しくアメリカの女性と結婚して、ニューヨークに滞在していた親戚から「そんなにラグビーがしたくて、日本以外の国に行くんだったらニュージーランドに行ったらいいよ」と助言をもらいました。そこで、ニュージーランドの高校へ行くことに決めたんです。

ただ当時の留学エージェントで、高校留学を取り扱っている会社が全くなくて、探すのにかなり苦労しました。やっと見つけた留学エージェントを通じて、テストを受けてなんとか合格し、ニュージーランドの高校へ進学が決まりました。

語学学校に6ヶ月通ってから、高校に行く予定だったんですが5ヶ月目に入り、高校へ入る為の書類手続きを行った際に、自分のビザがないことが発覚しました。

今だとありえないようなトラブルですが、当時はエージェントさんからもビザが必要なことなど知らされず、僕自身も滞在するのにビザが必要だということも知らなかったんです。色々ありましたが事情を説明して、無事に高校へ進学することはできました。

父親からは、「2年は帰ってくるな」と言われていたので、2年経って日本に帰国した際には、日本語が飛び交う環境に違和感を感じるくらい、英語に染まっていましたね。

▶︎行動力が半端じゃないですね。元々語学は得意だったのですか?

全くダメでした。中学生の時も英語はそんなに得意じゃなかったです。ニュージーランドで、運転免許をとったり、ヒッチハイクをしたり日本の高校生活では、絶対に味わえないような経験をたくさんできました。青春時代をニュージーランドで過ごして、日本で高校受験に失敗してよかったなと本当に思いました。

余談なんですけど、ラグビーをする為にニュージーランドに行って、明治からスカウトが来たこともあったんですよ。最終的には、断ったんですがアメリカンドリームならぬ、ニュージーランドドリームでしたね(笑)。

僕は、いつもそうなんですが、最悪になってから、どん底に落ちてからが、凄く良いきっかけになることが多いんですよ!

父親から「何か1つ誰にも負けないものを作れ!」と言われていましたので、高校生活を通じて、「英語」という武器が身につけられらのは大きかったです。

②日本で起業することになった経緯とは?

▶︎当時と今では、留学が全く別物で、とても大変そうですよね。大学はニュージーランドに進学されていたのに、なぜ日本へ戻って来たのですか?

元々は、日本へ一時帰国後ニュージーランドへ戻る予定でしたが、今の奥さんと当時のバイト先で出会ったんです。奥さんを取るのか、ニュージーランドを取るのかでかなり悩みましたが(笑)。最終的には日本で働くという選択肢を選びました。

新潟でラグビー関係か英語関係の仕事を探していた時に、出版社の仕事を見つけてそこに就職しました。営業の担当になったんですけど、この会社が結構しんどかったんですよ。かなり厳しくてやめたいと思いましたが、地道に営業を続けたおかげで、全国一位の成績を収めることができたんです。そこから、単身赴任で福岡への転勤になりその後3年間は出版会社で働きました。

サラリーマン生活を3年して、上司も良い人で人には恵まれました。ですが、何かと上司とぶつかることがあったんです。そこで、そもそも僕は人から指示されるのが大の苦手ということに気づきました。

元々父親が自営業をしていて、幼少期からお店を手伝っていた経験もあったので、やはり自分がやりたいことはサラリーマンじゃないなと気づきました。当時は、なんの繋がりも持っていなかった新潟で、自分の留学経験を生かして英語関係の仕事をしようと思い、日本初の手数料無料の留学サポートの会社をはじめました。

その2年後に、東京の事務所を開設しました。新潟で活動している間に、お金や仕事さまざまな理由で海外に行けない人達と出会い、そんな人達の為に英語とフランス語を学べる学校を作りました。

▶︎フランス語と英語のスクールは珍しいですね!なぜ、フランス語だったのですか?

元々、姉がカナダのモントリオールという英語とフランス語圏の場所に、20年近く住んでいたんですよ。当時彼女もフランス語を学べるところが少ないと感じていたので、私がフランスを担当するよと声をかけてもらいました。そこから英語とフランス語と学べる専門の学校を初めて、今もこの二つのコースでやっています。

今は、スタッフは全員で30人いて割合はさまざまですが、フィリピン人・アメリカ人・オーストラリア人・ニュージーランド人・イギリス人・カナダ人・フランス人が先生をしていますね。後は、日本人の方もアメリカに10年住んでいた方などバイリンガルのスタッフが在籍しています。

▶︎それだけ、宗教や文化が違う国々の人が集まると、マネージメントするのは大変ですね。

そうですね。やっぱり、新潟で初めた頃は色々な問題がありましたね。ビザが取れた瞬間にいなくなる人もいれば、文化の違いでフランス人とアメリカ人の先生同士がレッスン中に喧嘩しちゃうこともありました。ただ、この4~5年は本当にそういったトラブルもなく、かなり落ち着いていますね。

その理由の一つは、すべきこと・してはいけないことを彼らに明示できているからだと思っています。

会社としてのルールを明確にして、入社する際にそのルールにきちんと合意してから、入ってもらっているので約束はきちんと守ってくれますね。僕たちは生徒さんへの挨拶は結構日本式で、大きな声で元気よく挨拶をしています。初めは、彼らになんで、日本人は居酒屋とかでもあんな大きな声で挨拶をするの?と聞かれたこともありましたが、日本人は声の大きさで感謝の気持ちを示すんだよと伝えると彼らも納得していました(笑)。

後女性がテーブルを拭いて掃除してくれていた事が多かったんですが、それって結構日本的ですよね。外国では男性も積極的に家事をするし、外国人の先生も日本人のスタッフも関係なく各自で自分の机は掃除するようにしました。こういう制度を取り入れた時に、習慣化させるには、「初めが肝心」だということに気づきました。

途中で、掃除の制度が導入されるとエキストラワークと言われたり、掃除を忘れたりしちゃうんですよね。最初に入社した段階で、掃除の制度があれば彼らもきちんと取り組んでくれます。日本人のおもてなしや欧米のレディーファーストを融合させたような会社にしていますね。

▶︎日本と海外の良いところが融合されているのは、面白いですね!もし、彼らにとって嫌な制度を、伝えてきた場合、どうされるのですか?

そこに関しては、さらに一つ前のステップの採用が大切になってくると思っています。

会社のビジョン、進むべき方向をきちんと示したり、目に見えてわかる明確な人事制度を作って採用する際に、うちではどんなことをしているのかを、一つ一つ確認してその段階で”YES”と答えた人のみを、2次面接するようにしています。入る前にきちんと、どういう会社なのか項目をリストアップして、自分たちの制度が彼らに合うのかすり合わせることがとても大切だと思っています。

▶︎なるほど。最後の質問ですが、櫛谷さんが思うグローバル人材とはどういう人なのか教えてください。

正直、これだっと言えるものが何かは僕もまだ模索中です。

もっと、さまざまな業界の人々とお会いしていけば変わると思いますが、僕自身も沢山の日本人や外国人とお話しする機会がありましたが、なかなかこの人はグローバル人材だなと思う人には出会えていないんです。

1つ言えるとするなら、自国の言葉や文化を大切にして、他国の文化を理解すること。後は、コミュニケーションの手段として英語でコミュニケーションが取れることは大切だと思います。

まとめ

櫛谷さんとお話をしていて、自分の生まれ持った文化や言葉を大切にすることが、他国の文化を受け入れるための第一歩であるということを感じました。

また、違いがあって当たり前の海外の人々と働くには、会社としての主軸を最大限見える化することが重要だというお話も印象深かったです。

お忙しい中、インタビューを受けてくださりありがとうございました!

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